8月16日(木)
写真 いよいよ明日だ。緊張で全然眠れない。
結局お父さんには伝えることができなかった。いつも通りしょうもない話をして、いつも通りご飯を食べて、いつも通りおやすみまた明日、と言い合った。
ただ、手紙に全部の思いのたけを書いたので、机の上に残していこうと思う。
私は意気地なしだ。切羽詰まるといつも手紙だなんだで間接的にぶちまけて、直接顔を合わせず逃げ出す。引越し先でこの癖を治したい。いい加減私も、一人前の風祝にならないとダメだから。

心残りはまだある。夏休み明けの林間学校に参加できないことだ。 キャンプにはいっとう憧れがある。昔映画で見た、焚き火を囲んでいい感じに語るやつ(?)とか。あれはぜったいたのしい。
それには友達も必要って言われたら返す言葉もないけど。

引越し先は電気があるかすら怪しいところなので、このサイトがもう更新されることはないだろう。古い日記も消したので最低限のものしか残っていない。いずれインターネットの海に沈んでいくのだろう。
今まで読んでくれたどこかの誰か(カウンターでほとんどいないのはわかってるんだけどさ...)、ありがとうございました。さようなら、よい旅を。




7月20日(金)
写真 夏休みに入った。くだらない学校に行くのも今日で最後だと思うとせいせいする。 どうせ夏休み明けには私はこっちにいないのだ。仲のいい友達もいないし、そもそも友達なんていらない。本当にピンチになった時に助けてくれたりはしないのだから。信じて重心を預ければその分裏切られて倒れるだけだ。
それは別に強がりではない(本当に!)のに、薙ュ縺ソさまと縺ョ?kさまはおせっかいにも口を出してくる。ちょっと過保護すぎると思う。そんなこと愚痴ってるだなんてバレたら祟られそうだけど。
部屋の掃除をしてたら懐かしい映画のビデオが出てきたので見た。テンテンかわいい。友達はいらないけど、キョンシーだったらほしいかも。




7月10日(火)
写真 ちょうど夕日が沈む頃、世界がうっすら金色に染まって、「境界」があやふやになることがある。
黄昏時という呼び名は知っていた。逢魔が時とも言うけれど、実際に魔と逢うこともあるので、あまり好んで使いたい言葉でもない。
ふだん使っている言葉を英語にすると、意外な一面が表れることがあるなと思う。百鬼夜行は「ナイトパレード」と言うらしい。かっこいい。山岳信仰は「マウンテン・オブ・フェイス」。これまたかっこいい。
黄昏時のこの時間帯のことは、「マジックアワー」とも呼ばれるのだそうだ。淡水と海水が混ざる汽水域みたいに、世界が曖昧になる「汽界域」とでも言う感じ。
繰り返される退屈な世界から抜け出て、新しい道へ繋がってそうな瞬間。
マジックアワーって言葉の響きも好き。なんか魔法が使えそうだから。魔法使いってかっこいいよね。




6月18日(月)
写真 こんな世界全部なくなっちゃえばいいのに。                 




6月12日(火)
写真 私の住む町には裏道が多くて、生活する上で小さい道を避けて歩くことは難しい。
辺りが薄暗くなったころ裏道を通ると、たまに反対側からこっちに向かって歩いてくる人がいる。だけど、それはたいてい人じゃない。 遠くからだと顔がぼんやりとして判別できないのに、そいつが私を見ていることだけはわかるのだ。
今でこそ慣れたものだけど、幼い私はそれが本当に怖くて(私の知ってる「人じゃない存在」とは明らかに違ったから)、おどおどしながらすれ違っていた。
ある日、すれ違った後「早苗」と背後で野太い声がした。私は蛇に睨まれたカエルのように足がすくんでしまう。 恐る恐る振り返り、改めて確認するとお父さんが不思議そうな顔をしていた。「新しい遊びかい?」
返事もせずに泣きながら飛びついたことを覚えている。少し怒っていたかもしれない。




5月20日(日)
写真 突然ではなかった。年々目に見えて参拝客も減り、信仰も得られなくなっているのだから。いずれそうなる覚悟はあったし、そもそも誰よりも信頼できる方の案だ。なんの異論もない。
ただ、漠然とずっと先のいつかだと思っていたのだ。
学校は相変わらずつまらない。教科書を教室に置いておくと落書きをされたりなくなったりするので、 全部持ち歩かないとダメなのがとても面倒くさい。
そのしがらみから逃げることができる(逃げるって言い方は微妙だな...)なら一石二鳥じゃないか。

だけど、お父さんにはまだ話せていない。どちらのことも。
口伝の神事の秘法よりも早く伝えないとダメなのは、わかっているんだけど。
決行はお盆の頃らしい。





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